NPO法人S.O.L.
(Seed of Lanka)
日本とスリランカの友好のために
大阪に拠点を置くNPO法人S.O.L.です。
スリランカの素晴らしい歴史や文化を日本に紹介しつつ日本とスリランカの友好を深めながら
スリランカにおけるアニマルアタック(人とゾウの衝突事故やデング熱)
に関する支援を行っています。
S.O.Lの持つスリランカ政府や優良企業、教育機関などとの繋がりにより、スリランカ進出の企業支援や情報提供、スリランカのビジネスツアーやスタディツアーなどの企画をしています。
又、スリランカゾウの情報提供や日本におけるゾウの国内繁殖の重要性の周知、
スリランカの災害による被災者支援を行って来ました。
各界のスペシャリストが揃ったS.O.Lのこれからの活動をご期待ください!!
スリランカについて
一番初めに絵本の中で出会った動物の親子は
何でしたか?
おそらくほとんどの人が
「ゾウさん!」
と答えるのではないでしょうか。
見上げるような大きさ、匂い、声、奇妙な動きをする鼻、優しそうなつぶらな瞳・・・・。そんな愛すべきゾウさんとミライの子ども達は絵本の中でしか会えなくなるかも知れません。
今、日本の動物園から次々とゾウさんがいなくなっている事は悲しい事実だと思います。
S.O.Lではミライの子ども達にゾウさんと会える機会を残して行きたいと考え、国内繁殖や研究費に寄付を募るプロジェクトを立ち上げました。多くの方々からの賛同を集め、協力をお願いしたいと思います。
北海道より一回りほど小さな国、スリランカ。
人口はおよそ2,270万人、首都は「世界一長い首都名」と
言われているスリジャヤワルダナプラコッテ
(Sri Jayawardenepura Kotte)
です。
スリランカと言えば宝石、紅茶、カレー。
そして8つの世界遺産を有する国です。
宝石はダイヤモンド以外の宝石が産出され、
特にブルーサファイアの質の高さは有名です。
紅茶はセイロンティーと呼ばれ、産地はウバ、ヌワラエリヤ、キャンディなどがあり、
それぞれ産地によって味や風味に違いがあります。
スリランカのカレーは主食のお米の周りに
色々な食材を並べ
それらを「まぜて」食べます。
様々なスパイスと共に
かつお節のルーツとも言われる
「モルディブ・フィッシュ」を使い、
ココナッツミルクで煮込んで仕上げます。
セイロンシナモンの香りが食欲をそそります。
平均気温が年間を通じて25~30℃。
年中その時期の花や果物を目にする事が出来ます。
大きな岩山の写真は世界遺産の一つ
「シーギリヤロック」です。
ジャングルに囲まれた巨石の上には
5世紀後半に作られた宮殿跡があります。
世界遺産はこの他に仏教寺院や自然遺産などがあります。
「Successful Sri Lankan Model」
スリランカでの蚊取り線香寄贈活動やビジネスマッチング、スタディツアーで見えてきたデング熱の問題に日本の虫除け文化が役立つのではないか?と考え
現在スリランカのポルガハウェラで
網戸の実証実験を行っています。
スリランカでは網戸が殆ど使われてないのです。
スリランカは人口の7割が仏教徒で
その信仰は生き物の殺生を
良しとしていません。
家の中に入ってきた蚊も、
うちわの風で外へ優しく追い出しています。
私達が普段当たり前のように使っている
網戸や蚊取り線香などの虫除け法を
効果的な使い方から周知していけば、
もっと蚊による感染症を減らせるのではないか
と考えるようになったのです。
例えば
蚊の脅威から自己防衛できる
「網戸」の設置方法を伝え
家の中に虫が居ない(少ない)
生活の快適さを知ってもらったり
蚊の特性に合わせた虫除けで
蚊に刺されない安心を感じてもらったり。
私達が考えている試みが成功すれば
世界中の蚊による感染症を減らすと共に
人に優しい社会の実現に貢献できるかもしれません。その試みを
「Successful Sri Lankan Model」
と名付けました。
「世界中の人が
蚊による感染症の脅威から解放される社会」
を目指して
S.O.L.は第一歩を踏み出します。
ミライに残したいゾウ物語
知って欲しい事、
考えて欲しい事
Seed of Lanka に託す思い
時は1951年。
第二次世界大戦後のサンフランシスコ講和会議に於いて日本は戦勝国より厳しい制裁処置を求められていました。
並み居る列強の国々が「日本を4分割し、戦勝国で統治を」と提案する中、セイロン代表として出席した
ジュニヤス・リチャード・ジャヤワルダナ元大統領(当時蔵相)は
「憎悪は憎悪によって止むことなく、愛によって止む(hatred ceases not by hatred, but by love)」
という仏陀の言葉を引用し、対日賠償請求権の放棄を明らかにするとともに、
日本を国際社会の一員として受け入れるよう訴える演説を行いました。
この演説は、会議場内で多くのスタンディングオベーションと拍手喝采の中、大きな感動を呼び、
一部の戦勝国の日本に対する姿勢をも動かしたとも伝えられています。
そして、その後わが国の国際社会復帰への道につながるひとつの象徴的な出来事として記憶されています。
しかし、この史実を日本人の何%の人が知っているのでしょうか。
私達が今、普通の事だと思っている
「日本国内を自由に行き来できる事」「日本人としていられる事」は
この若きスリランカ代表の勇気ある演説があってこそ、なのです。
スリランカという国に感謝しつつ、友好を深めながら相互を理解する事により
日本という国を大切に思い、日本人である事に誇りを持ちたいと思っています。